撮影:渡辺裕一 (c) Galleria AMICA

この作品を作ることを決めたのは、手塚治虫氏が亡くなった直後のことでした。昭和天皇と手塚治虫氏は未来永劫生き続けるような錯覚を皆がしていた時代でした。言いかえると空気みたいなもので、いるのが当たり前のような気持ちだったので、お二人が亡くなったのは、ショックでした。私にとって手塚治虫氏の死は、私のなかの昭和が終わったという気持ちでしたので、追悼の意をこめて、アトムを作ろうかなと考えていました。しかし、畏れ多くてとてもリアルなアトムを作る勇気はありませんでした。最初仏陀やキリストの像を作ったアーチストの気持ちが少しわかったような気がしました。その後自分の作品が少したまって、個展をする準備をしている時、それらの作品を作るにいたった根本の欲望というのを、はっきり示した方が、作品を見る人にとってわかりやすいかなと思った時、アトムは避けて通れなかったので、アトムを作りました。自分が作ってみて、アトムに見えなかったら、すぐに、やめようと思っていたんですが、顔は半日であらかた出来てしまったので、我ながらびっくりしました。これは、この時私の一人娘が生まれた事と、関係があるんです。毎日娘の寝顔をみてプクプクした体を触っている時に、手がこの形を覚えていたのでしょう。

また、逆の経験もしました。子どもが生まれる前に作ったビデオ作品のキュ−ピーの顔が、生まれた自分の子どもにそっくりだった事です。人間には不思議な力があるようです。きっと私の子は自分自身が赤ん坊のときの顔にどこか似ているのでしょう。結局私は、自分自身の幼少の姿を美化してアトムに作りかえただけなのかもしれません。作品は所詮おのれの似姿のバリエーションにすぎないのかもしれません。そういえば聖書の神様も自分の似姿を真似て人間を作ったと言ってるぐらいですから。人間には生まれつき自分をコピーしてこの世に残そうとする本性があるのでしょう。アトムは世界一のアトムコレクター井沢豊氏の紹介で手塚プロダクション主催の「私のアトム展」に出させていただきました。日本各地を回ったのでご覧になった方もいらしゃるかも知れません。パリで「どないやねん」という展覧会に出品し、現在フランスで「なんでやねん」という日本の若手のアーチストの作品を集めた展覧会に半年近く行っています。